「死を越えて導く神」 手束信吾牧師
聖書:ホセア書14章2節~8節 使徒言行録9章36節~43節
本日の旧・新約二つの箇所が私たちに語りかけていることは、いったい何でしょうか?それは、私たちの信ずる神は、生命の回復をもたらす神だということではないでしょうか?これは何も、聖書の神を信じれば、死んだ人も生き返るのだということを言っているのではありません。「タビタ、起きなさい」というペトロの言葉で生き返らされたタビタも、やがてまた必ず死を迎えるのです。
しかし、イエス・キリストを死より復活させられた神は、死を超えて私たちを生かそうとされるお方なのです。イエス・キリストの復活とは、神による生命の回復の出来事なのです。
預言者ホセアは、イスラエルが自らの愚かなふるまい、その罪によって滅びに至ることを語りますが、主に立ち返るならば、主はイスラエルを回復してくださると預言します。また、使徒言行録は、ペトロを通して語られた主の言葉によって、タビタは生命を回復したと語ります。
確かに、私たちの生きるこの世界においては、痛ましい死というものがあり、早すぎる死、無念の死、残酷な死、不条理な死があります。そこには深い痛みと悲しみが伴います。
タビタを喪ったヤッファの信徒の群れも、その深い悲しみを口々にペトロに訴えています。ペトロはその悲しみを受け止めた上で、人々を外に出し、「ひざまずいて祈った」のです。何に対して祈ったのでしょうか?それはイエスを死より復活させられた希望の源である神に対してです。
そう。神はありとしあるもの、生きとし生けるものを生かそうとされます。そして、死によって生命が奪われたかに見える現実にも、神は非業の死を遂げたイエス、残酷で不条理な死を遂げたイエスを死より復活させることによって、死によって奪われた生命を回復し、生かしてくださるお方であることを示されたのです。
私たちの信ずる神は、生命を回復させる神であり、死を越えて導く神なのであります。私たちはその希望に心満たされて、この世の旅路を歩んでゆくことが出来るのです。