「希望を持つ者は行動できる」 手束信吾牧師

聖書:ミカ書4章1節~7節 ヨハネによる福音書4章5節~26節

預言者ミカは差し迫ったエルサレムの崩壊という悲劇を預言する一方で、「終わりの日」、すなわち主がもたらしてくださる「将来の希望」をも語ります。ミカの語る幻によれば、多くの国々の民が「主の山」エルサレムに登り、主が国々の争いを裁くので、もはや戦争はなくなる。…。諸国の争いを治める平和の主は、諸民族それぞれの信仰と自立性を保障する包容力を持ち、戦乱と長旅で足が萎えた者、遠くに追いやられた者、いと小さき者たちをいたわる慈愛に満ちた方だと、彼は語ります。

イエス様は、互いの間を隔てている壁を自由に乗り越えます。今日の箇所において、イエス様とサマリア人の女性との間に、会話のやり取りが展開されます。喉が渇いたので、水を飲ませてくださいというイエス様のお願いから会話はスタートしますが、やがて、イエス様はその女性に対して、本当に渇いているのはあなたの方であり、あなたの渇きは単に肉体的なものではなく、霊的なものなのだということを指摘します。そして、その霊的な渇きを満たすことが出来るのは、この私なのだとイエス様は言われます。

このイエス様において、国、民族、性別、階級、場所あらゆる障壁を超えて、人々がただ霊と真理とをもって礼拝する終末の時が、すでに始まっているのです。つまり、あの預言者ミカが描いた壮大なビジョンが、今、イエス様において実現しつつあるということであります。しかし、私たちはイエス様の十字架の死と復活の出来事の後においても、この世界には、国々の間にも、民族の間にも、性別や階級によっても、隔ての壁が存在することを知っているのではないでしょうか?

ミカの語ったビジョンが今イエス様において実現し始めている。しかし、それは、完全に実現したわけではなく、その途上にあるのです。だからこそ、私たちは繰り返し、繰り返し、聖書の言葉に聴きつつ、主が与えてくださる希望に生きるのです。そして、希望を持つ者は行動できるのです。私たちの信じる神は、イエスを死から甦らされた希望の源である神です。人々から嘲られ、見捨てられ、殺されたイエスを、神は復活させられたのです。

ですから、私たちは今なお、争いがあり、差別があり、さまざまなところに隔ての壁がある世界に生きていますが、それらの壁を乗り越えられたイエス様と共に始まった新しい時を、希望をもって生きたいと思います。そして、神の国の先取りへと参与し、キリストが彼の日に完成する新たな創造を、今日すでに少しでも目に見えるように行動したいと思います。